道新りんご新聞 ラジオ版

毎月第3木曜日午前10時より、FMアップル(76.5メガヘルツ)APPLE PARADEにて「平岸情報ステーション りんご新聞より」を放送中です。

平岸地域に特化した歴史・防災・生活情報をお話しています。

これまでの放送分は下のページからお聞きできます。


2016/4/21放送 防災特集~札幌でも震度7の直下型地震は起こりうる

4月14日に発生した熊本地震を受け、札幌でも防災意識は高まっています。今回は、札幌でも震度7クラスの直下型地震は起こりうるということ、そのために事前の備えが大事であることをお話しました。長いので5つに分けて、掲載いたします。

part 1. 自己紹介と道新りんご新聞創刊の経緯について

part 2. 地震はなぜ起こる?地震の基礎知識

part 3.札幌でも震度7の地震は起こり得る~地下を走る3本の活断層

part 4. 札幌でこれまで起きた直下型地震と被害について~過去100年で約40回発生

part 5. 地震への備え~明日に備えて、今日やろう!


2016/3/17放送 水沢から平岸へ

戊辰戦争の敗戦で士分を失った水沢藩士たちは新天地を目指します。入植に後ろ向きな主君と決別した彼らは、失業者としてではなく、フロンティアを切り開く挑戦者として平岸に入りました。この挑戦者気質は、その後も新しい物を積極的に取り入れる平岸気質として今に引き継がれています。

part 1. 札幌に故郷水沢の面影を見る

part 2. 主君との決別・・・そして平岸へ


2016/2/18放送 水沢から平岸へ

平岸の開拓の歴史は、明治4年岩手県水沢からの集団入植に始まります。水沢は、「みちのくの小京都」と呼ばれ、美しい武家屋敷の残る文化的な街として知られています。先祖代々の土地を離れ、未開の土地へ移らなければならなくなった事情に迫ります。

part 1. 水沢藩留守氏の系譜

part 2. 水沢から平岸へ


2016/1/21放送 アイヌ民族の悲劇

 紀元前、中国大陸から稲作が伝わると、あっという間に日本中に広まり弥生時代が始まります。稲作の不適地であった北海道では、狩猟・採集生活を中心とした独自の文化が発展し、やがてアイヌ文化へ結実します。そこへ、和人が侵入し、アイヌ民族に対する無数の横暴な仕打ちが行われるのでした。

part 1. “お米”から見た日本史

part 2. 札幌におけるアイヌ人の虐待~モニヲマの悲劇 


2015/12/17放送 縄文時代の平岸後編~平岸は縄文パラダイス

 平岸の縄文遺跡からは、たくさんの土器・石器・遺構が見つかっています。これらの出土品から、当時の平岸にいた縄文人は、狩猟・採集・漁労を通じて豊かな生活を送っていたことがわかってきました。縄文パラダイスともいえる当時の縄文人の暮らしを想像してみましょう。

part 1. 縄文時代は多民族社会?

part 2. 平岸は縄文パラダイス


2015/10/15放送 縄文時代の平岸前篇~縄文遺跡発掘物語

平岸には、天神山遺跡・東山遺跡・平岸坊主山遺跡の三つの遺跡が見つかっています。これらの遺跡は、奥内雄幸さんというアマチュア考古学者の奮闘により、発掘調査が行われ、貴重な資料が残されることになったのです。平岸の縄文遺跡の発掘の経緯を追いました。

part 1. 遺跡発掘物語

part 2. 平岸の縄文遺跡


2015/9/17放送 縄文時代の札幌

縄文時代、札幌は北半分が海の底でした。縄文人は、平岸高台をはじめとする丘陵地帯に暮らし、狩猟・採集・漁労という自然の恵みを生かす生活を送っていました。

part 1. 縄文土器は第2の胃袋!

part 2. 札幌は海の底だった


2015/8/20放送 人類の誕生~そして北海道へ

私たちの祖先である新人(ホモ・サピエンス)は、7万年前に起こった世界的な気候変動により、食べ物を求めて世界中に散らばります。シベリアに渡った集団は、自らの体を寒冷地に適応したデザインに作りかえ、マンモスなどの大型動物を捕っていました。そして2万年前、寒冷化に伴い、マンモスが北海道へ渡ってくると、人類もそれを追ってきます。

part 1. 人類の誕生

part 2. シベリアから北海道へ~モンゴロイドの誕生


2015/7/16放送 幻の川「小泉川」

かつて高台の縁に沿って、美園方面に流れるきれいな小川がありました。小泉川の名で呼ばれたその川には、幻の魚と呼ばれるイトウをはじめ、たくさんの生き物が暮らしていました。しかし、昭和の半ば、高台地域の宅地化が進行すると、水源の湧き水も枯れ、いつしか消滅してしまったのです。

part 1. 幻の川「小泉川」

part 2. 扇状地と湧き水


2015/6/18放送 平岸の地形の成り立ち~平岸の崖に氷河期の面影を見る

平岸の地形は、デコボコした高台部分と、その下に広がる平野部に分けられます。平野も、中の島との境界に流れる精進川沿いの崖を挟んで、二段に分かれています。この二段の平野は、1万年前に地球規模で起きた大規模な気候変動の痕跡なのです。

part 1. 氷河期の平岸

part 2. 平岸の地形の成り立ち


2015/5/21放送 平岸地名考~北海道に平岸は3つあった

平岸の地名はアイヌ語の「ピラ・ケシ」からきています。ピラは崖、ケシははじっこという意味で、中の島との境界にある崖のことを指していると言われています。札幌以外にも、ピラケシと呼ばれていた場所が二カ所あります。平岸を例に、アイヌ語と地形の関係について、解説いたします。

part 1. 札幌軟石よもやま話

part 2. 北海道に平岸は3つあった

part 3. 失われゆくアイヌ語地名


2015/4/16放送 ウニ博士の自己紹介~支笏火砕流が平岸高台を作った

今から4万年前、札幌の街は巨大な火砕流に飲み込まれます。新幹線並みのスピードで押し寄せる火砕流は、あらゆる生命を焼き尽くしました。平岸高台地域から羊ヶ丘にかけて広がる台地はこの火砕流でできています。
※放送中で、支笏火砕流は3万2千年前とお話していますが、4万年前の間違いでした。お詫びして訂正いたします。

part 1. 自己紹介

part 2. 支笏火砕流が平岸高台を作った


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