【凸凹地形から読み解く4万年の時空旅行】を振り返る

昨日、今日と豊平まち歩き講座として豊平区役所から南平岸駅までをブラ歩きしました。好天に恵まれ、絶好のまち歩き日和となりました。

 

今回のまち歩きのテーマは、地質と地形がどのようにマチの開拓の歴史や現代の街並みに結びついていったのかです。日常生活で地質や地形を意識することはほぼないでしょう。しかし、それらは私達の暮らしにも密接に関わっています。

 

昨今の街歩きブームを反映して、至るところでそのようなイベントが開催されています。私もよく参加させていただきますが、今ひとつ物足りないのが『高低差視点の欠落』です。地形や高低差を意識して、それをつなげるというのが街歩きの醍醐味だと個人的には思っているのですが、特に札幌市内中心部の場合、高低差が少なく、地形を意識しようにもできないという事情があります。

 

南平岸駅から旧HTBに登った一帯を「平岸高台」と呼びます。その隣が「西岡」「羊ケ丘」と呼ぶように、平岸高台から南東部には台地が広がります。一方、南平岸駅から北側の豊平方面に向かっては平野が広がっています。つまり、このあたりは平野と台地の“キワ”になります。“キワ”ということがポイントです。

 

参加されていない方のためにポイントだけ説明します。

①4万年前の支笏火山の爆発により、火砕流堆積物からなる台地が作られた

②豊平川によって台地が削られ、平野と台地のキワができた

③火砕流台地に染み込んだ雨水が台地のキワから湧き出し、小川ができた(小泉川)

④小泉川に沿って、縄文人が生活した

⑤開拓が始まると、小泉川を利用して水田地帯が広がった。一方、川から離れた平岸街道の方は乾いた土地だったので、りんご園に特化していった

⑥大正時代に定山渓鉄道が開業する際、りんご農家が蒸気機関車の煤煙を嫌い、反対運動を展開。結果として、鉄道はりんご園と水田の境界を縫うルートに変更された

⑦豊平町と札幌市が合併し、オリンピックの開催が決定。会場となる真駒内への人員輸送に対応するため、廃線となった定山渓鉄道を札幌市が買い取り、地下鉄南北線が開業した。

 

こうして振り返ると、地形や地質がいかに歴史や街並みに大きな影響を与えたかがわかると思います。今後も様々な形で地域の魅力を伝える取り組みを続けたいと考えていますので、応援よろしくお願いいたします。