7月15日早朝、月寒の防空作戦室から札幌地区に空襲警報が発令されました。米軍側の事前の空爆標的リストには、豊平区(当時は豊平町)の施設はありませんでした(豊平区でもあった札幌空襲①6つの空爆標的リスト)。しかし、実際には豊平区も空襲の対象となってしまったのです。
当時、西岡地区には油沢油田と呼ばれる石油の採掘地があり、昭和9年から本格的な採掘が始まり、やぐらが組まれていました。この木製やぐらがグラマン機の機銃掃射に遭ったことが「写真で見る札幌の戦跡」に書かれています。
札幌が空襲に遭った7月15日は豊平小学校の遠足の日でした。このときの体験を当時、同小の生徒だった池上芙佐子さんが『池上商店物語:少女の目で見た昭和史』に書いています。『』