札幌には空襲がなかった・・・そう思われている方が多いのかもしれません。しかし、昭和20年7月15日に米軍戦闘機による空襲により、札幌新飛行場(現・丘珠空港)など市内6箇所が機銃掃射や爆弾投下の被害に遭い、犠牲者も出ています。2月2日に札幌大学で行われた公開講座「豊平の戦争の歴史―札幌空襲の伝え手として」の中で、講師の林恒子さんが、一時は歴史の闇に埋もれたその事件について、その詳細を語ってくれました。
硫黄島が陥落し、太平洋の制海・制空権を失っていた昭和20年6月29日。一機の偵察機が北海道に向かっていました。B29を改造したその偵察機は高度1万メートルの上空から千歳、札幌、小樽、室蘭、函館を撮影。札幌市内では平岡・月寒・美園・西28丁目・西野・宮の沢・星置・銭函の上空でシャッターを切り、綿密な空襲計画を作成しました。その結果、①国鉄苗穂工機部、②軽川の日本石油精製所、③札幌飛行場(北24条)、④札幌新飛行場(現・丘珠空港)、⑤帝国製麻会社(北7東1)、⑥帝国製麻琴似工場、⑦北海水力発電所(現・藻岩発電所)の7箇所が空爆標的リストとされました。この時点では、豊平区内には攻撃目標はありませんでした。
昭和20年7月15日早朝、太平洋上に浮かぶ3隻の空母から艦載機グラマンやコルセアが、これらの攻撃目標に対し飛び立ちました。