HTBの樋泉実代表取締役社長が、10月30日付けで代表権のない取締役相談役に就任し、後任に寺内達郎常務取締役が昇格しました。同社の社長人事は7年ぶり。社屋の移転や開局50周年に合わせ、経営の若返りをはかりました。
樋泉前社長には道新りんご新聞8月15日号の「平岸人図鑑」でインタビューさせていただきました。大企業のトップにもかかわらず、吹けば飛ぶような新聞販売所(しかも他系列)の一社員の無謀な申し込みを快諾していただき、「なんでも聞いてください」と当初の取材予定時間をオーバーしながらも、取材だけでなく、私の仕事に対する考え方、特に地域メディアのあり方やビジョンについて真剣に聞いていただき、理解してくださいました。
以前も書きましたが、私と樋泉前社長の出会いは今から4年前にさかのぼります。当時、道新りんご新聞の前身である「平岸の歴史を訪ねて」の連載をはじめてから数ヶ月がたったある日、HTBの秘書室の方からバックナンバーをいただけないかとのお電話がありました。すぐにお届けすると、樋泉前社長自らお礼のお電話をいただき「こういった活動を新聞販売所が行っていることに敬意を表します」とのありがたい言葉を頂きました。
連載当初、このようなマニアックなものが受け入れられるのか正直不安でした。今でこそ平岸ではそれなりに知名度のある媒体になりましたが、当時はまさにゼロからのスタート。取材を申し込んでも露骨に断られることも多々ありました。そんな中での励ましのお電話は私にとって力強いエールとなり、自信となったことを覚えています。
樋泉前社長がHTBに入社したのは、創業から4年経ったばかりのころ。インタビューで「今でいうベンチャー企業みたいなもの。海の物とも山の物ともつかないーそこに魅力を感じた」と入社当時の心境を語っていました。当時のHTBはまだ地下鉄が開業する前で、周辺には雑木林が生い茂り、火葬場があった時代。
入社後は営業畑を歩み、東京支社時代の部下が藤村忠寿さん。本人の希望をかなえ、制作局に移動し、生まれたのが水曜どうでしょうです。テレビ局のビジネスモデルに革命をもたらしたと言われる同番組のDVD化を提案したのも樋泉前社長でした。「水曜どうでしょうのコンテンツ力とディレクターのものづくり力がマッチした」結果、一地方局のテレビ番組がドル箱コンテンツに成長しました。
50年前に青年・樋泉実が選んだ「海の物とも山の物ともつかない」会社は、北海道で最も愛される大企業の一つになりました。
50年間、本当にお疲れ様でした。またお会いできる日を楽しみにしています。