道新りんご新聞ではこれまで、様々なアンケートを実施してきました。HTBの移転に関するものや、10大ニュースなどです。しかし、今回実施した胆振東部地震に関するアンケートはそれらとは比較にならないぐらい大きな反響がありました。回答数は三ケタに達し、自由記述欄もほとんどの方がびっしりと書き込んでくれました。
道新りんご新聞11月15日号では、皆様からのアンケートをまとめ、課題と教訓を探りました。ただ、紙面スペースの関係上、皆様からのご意見のごく一部しか載せることができなかったので、こちらでも一部を紹介させていただきます。
「あれから水のタンクを買い、ペットボトル数本と浴槽にも水をためています。懐中電灯は常に枕元や手の届くところに数本スタンバイ、食器棚の硝子戸は寝る前に突っ張り棒を使って揺れても開かないようにして寝ています。つい時間がたつと忘れてしまいそうな防災ですが、冬に向けてまだまだ足りない部分かあると思うので、日々家族で防災について相談しています。」
「自治会としての機能が迅速に発揮できなかった事が課題。組織図がありながら機能しない。普段からの防災意識構築が必要と役員の反省の弁である。」
「地震当日朝刊が届き、驚きました。電気・水道のありがたみを痛感しました。近所のガソリンスタンド、コンビニ、スーパーさんに感謝しております。お互い被災者でしたのに営業していただきまして」
「我が家はオール電化住宅のため、電気が無いと生活が出来ないということを、あらためて実感した。自家発電機の購入やソーラーパネルを設置した蓄電など、何らかの検討が必要と本気で感じている。」
「全く防災対策をしていない人がこんなに沢山いることに驚きました。コンビニスーパーへの食料調達に人が溢れて、今後災害弱者への対策を各町内会単位で考えなけれないけないと感じました。」
「大きな地震の際の停電はあり得るが、9・6震災での北海道全域でブラックアウトが発生したのは異常事態だと思う。まして、厳冬期の停電は死活問題である。電力会社には再発防止を講じて欲しい。」
「ガラケーでは、道新りんご新聞のTwitterやFacebookは利用できなかった。NHKや道内の放送局の放送では、平岸に関する情報を取りにくかった。りんご新聞に紙媒体があって良かった。」
「デマが多く流布して何が正確な情報なのか分からず混乱した。札幌市も混乱の中で対応困難だったと思うが、例えば、札幌市の貯水場が空になり断水するといった誤った情報を把握したら、札幌市として正しい情報を発信し、市民に安心を与えて欲しい。」
「知人に情報を提供するため避難所の様子を確認に行った。係りの方から『食べものは潤沢でないので持参頂けたら…』と説明を受けた。この説明は当然だと思った。避難所は何でも揃っていると誤解されないように、札幌市は避難所について説明を強化しておいた方が良いと思った。」
「北電には迷惑した。なぜコープさっぽろのように企業は訴訟しないのかはなはだ疑問。法人、個人問わず、電力料金からわずかでも割り引くなど迷惑料を払うべきと思うが、世間はどう考えるのか。」
「停電時に窃盗や強盗などの犯罪が起きずに、また物資の取り合いなどの大きな混乱がなく、むしろ譲り合いが報道されるなど、日本人の国民性、北海道の道民性が感じられ、安心した。外国人が少ないこともその背景のひとつであると思う。道新は夕刊発行に始まり、記事内容はともかく、社会的責任は果たしてくれた。」
「今後は厳寒期の発生に備え、各家庭はもちろん避難所にも防寒・暖房対策が急務である」
「マンションの9階に住んでいるのでエレベーターが止まり階段の昇り降りが大変でした。また停電が解消してもエレベーターは点検に来なければ動かないのでさらに半日ぐらいエレベーターが使えなっかた。高齢者には非常に厳しい。」
「僕は高次脳機能障害なのですが、地震が起こった時もしばらく起きず、起きてからも平然としていたと言われました。こういう人が災害に無頓着で巻き込まれるのでしょうね。幸い、ガスが使えましたので、妻の実家がすぐ隣にあり、ガス窯炊飯器なのを知っていましたので、おかずは少し前に買って来た物産展のものを冷蔵庫にアイスパックを詰めて保存していた所に置いて、少しずつ食べました。」
「近所の方からの情報がありがたかった。これからもご近所付き合いを大切にしたい」
「今回の地震では、市内でも通電にかなり差があったように思います。避難所についても同じだったのでしょうか。同じ避難所でも真っ暗な避難所に行くより、少し歩いてでも通電しているところに避難できれば不安も減りますし、役所に充電の行列ができることも無かったのではないかと思います。そのような情報を拡散していただきたかったですね。」
「停電後は信号機も消え、白石藻岩通は深夜とも思えないくらいの通行量でした。車がスピードを緩めることなく次々と交差点に入っていくので事故が起きないか心配でした。恐ろしくて、とても避難所へ行ける状態ではありませんでした。」