【りんごを接ぐ】北海道博物館企画展 りんご農家の道具【歴史を接ぐ】

北海道博物館で企画テーマ展「りんご農家の道具」が、今月25日まで開催中です。実は、博物館の学芸員の方から直接パンフレットを持って弊社までご挨拶に立ち寄って頂いていました(私は不在でしたが)。多忙でなかなかお邪魔する機会がなかったのですが、昨日ようやく訪れることができました。

 

豊平区の代名詞ともなっているりんごですが、これまで平岸の歴史を訪ねて~りんご編でも詳しく、取り上げてきました。今回の企画展でも参考にしていただいたとのことで、正直うれしく思いました。

りんごは中央アジアが原産で、平安時代には中国を経由して日本にも入っていました。ただこのりんご(和りんご)は今のりんごに比べ、実が小さく、甘さも控えめでした。

 

日本で、りんごが大きく普及するようになったのは、明治5年に来日した開拓使のお雇い外国人ルイス・ベーマーがアメリカから大量の苗木を輸入し、4万本を越える苗木を道内各地の農家に無償で配ったことがきっかけです。

北海道農業教科書(北海道博物館展示資料より)
北海道農業教科書(北海道博物館展示資料より)

 

りんごの特性として、種子から発芽したりんごはもとのりんごより質が悪くなる傾向が強く、切られた枝から発芽したりんごはもとのりんごと同じ性質を持つ傾向があります。このため、新種を作り出そうとする場合を除いて、りんごの苗木は接ぎ木により生み出されます。

 

日本にも従来からの接ぎ木法があり、江戸の職人たちは自分たちの職人技に自負心を持っていましたが、ベーマーから教わった簡便で確実な接ぎ木法に驚きます。職人たちは、ベーマーの技術を積極的に吸収し、日本各地に派遣され、西洋式接ぎ木法を普及していきます。りんごの接ぎ木は、東西の技術が融合した日本の近代化の典型的な成功例といえます。

りんごの苗木の出荷作業を行う平岸のりんご農家(北海道博物館展示資料より)
りんごの苗木の出荷作業を行う平岸のりんご農家(北海道博物館展示資料より)

しかし、ベーマーが配布したりんごも明治20年代には老木となり病害虫が蔓延。札幌でもりんご園を廃園するところも出てきました。この危機を救ったのが新潟から入植してきた接ぎ木の名人・山際祐松です。梨の接ぎ木で培った技術をりんごに応用し、ベーマーがもたらしたりんごを次代に引き継ぐことを成功させたのです。

 

山際果樹園は後、百景園と名乗り、当時免許制であった苗木の販売事業を行い、平岸から余市や増毛など全道各地に苗木を出荷しました。さらに、出荷後も栽培指導をきめ細かく行うアフターフォローを徹底し、平岸りんごを日本を代表する産地へと押し上げることに成功しました。

 

今回の企画展を担当した学芸員の山際秀紀さんは、山際祐松から数えて5代目にあたります。山際家のりんごを接ぐ仕事は、りんごの歴史を接ぐ仕事に引き継がれています。

 

※“蝦夷地の風土病”を防いだりんごと豊平館
※道新りんごブログ~歴史カテゴリー

 

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