なぜ“新聞販売所”が号外を出し、ドローンを飛ばすのか?① 6年がかりで作り上げた号外

9月21日と22日、全く別のニュースで2日連続、弊社の活動が北海道新聞に掲載されました。21日の記事は胆振東部地震後、販売所が独自に号外を発行し、地域に必要とされる生活情報などを発信したという内容。22日はドローンを使って災害時の新聞輸送実験を行ったという記事でした。

 

この2つのニュースは、一見関係ないように見えますが、もとをたどれば私が体験したある出来事に関係しています。

9月21日北海道新聞
9月21日北海道新聞
9月22日北海道新聞朝刊
9月22日北海道新聞朝刊
9月21日放送どさんこワイド
9月21日放送どさんこワイド

2012年11月27日北海道新聞夕刊1面
2012年11月27日北海道新聞夕刊1面

それは2012年11月に西胆振地方で起きた大停電です。このとき、私はたまたま実家のある登別に帰省していました。

 

この停電は、最大瞬間風速39・7メートルを記録した暴風雪により北電の鉄塔が倒壊したことにより発生したものでした。胆振東部地震のときもそうでしたが、テレビやネットも繋がらないため、停電が起きている地域がどの程度の範囲なのか、いつごろ復旧するのか全くわかりませんでした。

 

12月近くの初冬。室温はみるみる低下し、室内でも防寒具なしでは生活できませんでした。このとき非常に役立ったのがコミュニティFMの「FMびゅー」でした。

 

停電している地域、避難所、営業しているスーパーといった地域の被災者が必要としている情報を逐一発信し、この情報によってはじめて自分たちが置かれている状況が把握できたのです。

 

それまでの私は、阪神大震災・東日本大震災といったニュースに接しても、何か支援できることはないかと考えたことはあっても、どこか他人事のようにとらえ、自分が被災者になるということを本気で考えたことはありませんでした。

 

しかし、冬に電気が止まれば生命の危機に直結するということを身をもって知った体験が私を変えました。まず、自分と自分の家族の安全を守る。食料、電気のいらない暖房器具、防災用品の備蓄といった自助から取り組み、次に考えたのが私たちの仕事を通じて地域の人々を助ける共助です。

 

今回の胆振東部地震でもそうでしたが、被災範囲が大きくなるほど身近な情報は手に入りづらくなります。テレビなどでも「札幌市内の一部スーパーで営業再開」というような報道を目にしましたが、その一部がどこなのかが肝心なのです。そうした地域のきめ細やかな情報を発信できるのは、その地域に住んでいる人しかできません。

 

新聞やテレビといったマスメディアではできないことを新聞販売所がやる。その文化を平岸から日本中へ広げる。この事故はそうした覚悟を私に固めさせてくれました。ただ、私はあくまで新聞販売所の人間であり、取材したこともなければ、新聞記事を書いたこともありません。

 

 

非常時に正確な情報を発信するには、普段から地域に根を張り、信頼感を得ている必要があります。そこでまず取り組んのが、2014年から連載を開始した平岸の歴史を訪ねてです。歴史分野は、金沢大学で地球科学を学び、古生物の研究で博士号を取得した私の経験を活かせる得意分野。この連載を通じて、地域とのつながりの構築や情報発信のノウハウを蓄積し、非常時に情報発信できる体制の土台作りができました。

こうして蓄積したノウハウをさらに発展させたのが2016年に創刊した道新りんご新聞です。地域の歴史だけでなく、防災情報、生活情報など、地域の人々の豊かな生活をサポートし、非常時には安全を守るお手伝いをすることを目的として創刊しました。

 

この趣旨に賛同してくれた5店舗の道新販売所による共同発行とし、毎月1日と15日の道新朝刊に折り込んでいるほか、道新りんごブログfacebooktwitterといったマルチメディアで地域情報を日常的に発信することとしました。

 

災害時に備えて、大事なことは複数の情報発信手段を確保しておくことです。SNSやブログの立ち上げは、紙面以外にも情報発信の手段を確保しておきたいという思いからでした。現代は、アナログ世代とデジタル世代が共存し、世代によって大きく情報収集手段が異なる移行期です。新聞販売所においても、アナログ・デジタル両方の情報発信手段を確保しておく必要があると考えました。

 

今回の地震後、道新りんご新聞の号外(アナログ)と、SNSで(デジタル)地域の情報発信を行いました。道新りんご新聞の号外発行からは、「ネットもテレビもつながらない中、必要な情報が集約されありがたかった」「祖母はネットを使えず、紙で情報を提供していただき感謝します」というメッセージを頂いた一方、SNSでの情報発信に対し、「海外出張中だったがSNSを拝見し、平岸の家族に状況を伝えることができた」と複数の情報発信手段を確保しておく重要性をあらためて確認できました。

 

 

地震発生当日、号外の発行を決断した私は、自ら地域の取材に出向き、豊平区役所、小中学校、まちづくりセンター、FMアップルなどを回りました。どの場所でも道新りんご新聞の取材活動を通じた顔なじみがおり、積極的に取材に協力してくれました。いざというときのためには、普段からの活動が欠かせません。この号外は、わずか30分で作り上げましたが、原点となる登別大停電からは6年かかったともいえます。

 

~情報提供のお願い~

豊平区で観測史上初めて震度5弱を記録し、全道で停電するなど大きな被害をもたらした胆振東部地震。皆様が経験したトラブルやどう乗り切ったかという知恵、今後の備えに役立つ意見、地域の支え合いや思いやりが発揮されたエピソードなどを募集しています。投稿は、胆振東部地震に関する情報提供のお願いのページからお送りください。寄せられたご意見は道新りんご新聞紙面などで紹介させていただく場合があります。

 

※なぜ新聞販売所が号外を出し、ドローンを飛ばすのか② “空の革命児”との出会い

※道新りんご新聞活動記~大停電からの3日間を振り返る

※道新りんごブログ~防災カテゴリー