9:00
社員に疲れが見えたので、早朝勤務後社員には休んでもらうことに。翌10日(日)の朝刊へのチラシの折込を中止することが決まっていたので、折込作業はない。しかし、11日は新聞休刊日なのでそれを告知するチラシを入れたほうが良いということになった。どうせチラシを入れるなら、道新りんご新聞2回目の号外を発行することに決める。
実は販売所には、非常時の備えとして、エリア内の北海道新聞朝刊配達部数×3回分の印刷用紙を保管していた。社員には「緊急用なので絶対に使わないで」と言っていが、言った本人もまさか使用することになるとは思っていなかった。
平岸近郊はこの時点で電力はほぼ復旧しており、避難所にいる人もごくわずかだったので、ライフラインの情報から、生活情報へと情報発信を切り換えること決めた。そうした情報はtwitterやfacebookで流していたが、そこにたどり着けるのは地域のごく一部であり、ある程度の地理範囲内に情報を発信するのは「紙」が一番なのだ。
11:00
取材開始。実はこの時点で販売所の車のガソリンが底をつきかけていた。日中はともかく、朝刊時には最低1台ないと配達に支障が出る。しかし、この時点でガソリンスタンドも補給を受けることができず、閉店しているところが多かった。
11:15
HTBへ。14日で平岸での営業を終えるHTBだが、この日から玄関ロビーの営業を再開し、喫茶コーナーも営業していたが閑散としていた。事前の情報では移転へのカウントダウンで本州から多くのどうでしょうファンが訪れ、最後の週末は盛り上がると聞いていたが、それどころではなくなっていた。HTBも移転に向けて、色々な企画を用意していたと思うが・・・道新りんご新聞でも色々と準備していただけに、こうした別れになったのは本当に残念だ
11:30
南平岸まちづくりセンターへ。この一画だけまだ電気が復旧していなかった。周りが平常に戻っているのに、自分たちだけが取り残されている。これは本当にツライ。そんな状況でも、ここのまちセンのスタッフは本当に心配りが細やかで、接していて温かな気持ちになる。毎年行っている避難所研修の案内をいただく。今年はぜひ参加したい。
11:45
西友へ。FMアップルのパーソナリティ村形潤さんと会う。お互い生活情報の収集が目的だったので、ニヤリとする。道新りんご新聞の情報発信でもFMアップルの放送にずいぶん助けられたし、こちらの情報発信を拡散してくれたり、心強かった。
11:55
平岸で唯一やっていたガソリンスタンドも長蛇の列。この時点でいつ給油できるかわからないという不安が、こうした混乱に輪をかけていた。
単なる営業情報だけではなく、不安を解消できるよう道新りんご新聞では「道内における在庫は1週間以上あり、供給量は確保されている」「不要不急の給油はできるだけ控える」よう呼びかけることにした。
13:00
翌日発行する道新りんご新聞の制作に取りかかる。休刊日がこのタイミングでよかったと思う。1日早ければ、まだ停電中で臨時発行していたかもしれないし、ちょうど電気がある程度回復し、配達スタッフに疲れが溜まっていたタイミングだった。
15:00
この頃からポツポツと、SNSやメールなどで反響が届き始める。
・自宅が平岸で、海外出張中だったが、道新りんご新聞を見て、地域の状況がわかりすごく安心した
・道新りんご新聞の号外、ネットに無縁の高齢者には大変ありがたい
・販売所のスタッフが真っ暗な中車のライトを照らしながらの作業を見て胸が熱くなった
・停電で真っ暗な中、階段を登る配達さんの音を聞いて、涙が出た
こうしたメッセージは本当に嬉しい。今回の取材でも、できるだけ感謝の思いを伝えて歩いた。「ご苦労さまです」「ありがとうございます」「お互いがんばりましょう」。感謝の思いを素直に伝えるということは、最大の復興支援かもしれない。課題は色々あったが充実感にひたる。家族や友人などからも次々に励ましのメッセージが届く。「お前は政治家になれ」という変なのもあったが・・・実家(登別)の両親にはこういう仕事についた以上、今回みたいな大規模災害が発生した場合でも戻れないことを伝えるが、「それでいい」と励まされる。
16:00
8日の時点では、節電に対する呼びかけはまだ本格的には行われていなかったが、週明けの平日から電力が足りなくなることは明らかだったので、一足早く節電対策をすることに。
看板照明をオフにし、室内の照明を半分に、使っていない電子機器類はコンセントから抜いた。
翌日もスーパーは品不足や混雑が続いていたが、食に困るほどではなくなっていたので、少しずつ情報発信を抑える。
2016年3月にこのブログを始めるにあたり、ごあいさつのページで以下の文章を書きました。この大停電から3日間、この理念だけは守りたいとの思いで行動しました。
【ごあいさつ】
2011年に発生した東日本大震災は多数の犠牲者を出しただけではなく、あまりにも被災範囲が広かったため地域住民が必要とする情報にマスメディアが対応できないという事態が発生しました。
災害時、最も必要とされる情報は、普段私たちが生活している地域の避難情報や安否情報です。しかし、災害の規模が大きくなるほど既存のマスメディアではローカル情報に対応することが難しくなります。
この反省に立ち、私どもは、非常時に地域の情報発信できる仕組みを普段から整えておくべく、日ごろの準備が必要と痛感いたしました。
災害時に備えて、最も大事なことは複数の情報発信手段を確保しておくことです。この度、道新りんご新聞の創刊に合わせ、ホームページを開設し、さらなる情報発信体制の強化に取り組みました。「道新りんご新聞」は、紙面・ラジオ・インターネットを通じて、平時には平岸住民の豊かな文化的生活を支え、非常時には地域の安全を守るお手伝いをしたいと思います。
地域情報の発信こそ新聞販売所の使命であるという考えが、この平岸を起点として日本中に広がることを目指して邁進いたしますので、平岸地域の皆様に置かれましては暖かく見守りくださいますようよろしくお願いいたします。(北海道新聞永田販売所・伴野卓磨)