昭和11年、陸軍特別大演習を統監するため昭和天皇が即位後初めて北海道に行幸されました。この演習は、満州事変後の戦火拡大に伴う国威高揚の意味合いもありました。中国とよく似た自然環境の北海道での演習は、翌年に勃発した日中戦争の予行演習の役割を果たすことになります。
陸軍特別大演習の終了後、月寒にあった歩兵25連隊の運動場で昭和天皇による講評が行われました。運動場は、連隊敷地の北にあり、現在は月寒高校のグラウンドになっています(写真左)。
当時、凶作続きで不況にあえぐ北海道にあって、急きょ道路補修や庁舎建築等の土木建設事業が国家の命で実施され、一時的に不況を吹き飛ばす大演習景気にわき立ちました。
平岸も村をあげて「大演習」「奉迎」などと墨で書かれた文字入りりんごで祝賀ムードを盛り上げました。
平岸りんごも品質の高さを認められ、中の島の川村果樹園の「旭」が天皇への献上品に指定されました。
献上りんごの栽培地は、しめ縄で囲まれた聖域に指定され、栽培者以外の立ち入りは厳禁とされました。出荷作業は、役人が厳しく見守る中、白衣を着て厳かに進められました。このことは平岸りんごにとって大変名誉なことであり、そのブランド力を大いに高める結果となりました。