豊平館におけるりんごの貯蔵試験(“蝦夷地の風土病”を防いだりんごと豊平館)の結果を受け、札幌軟石の倉庫は徐々に普及していきました。札幌軟石は、断熱性という点で倉庫の外壁材料としては適していましたが、そのサイズ・重量ゆえに、輸送コストや建築コストがかかる点がネックとなっていました。
一方、野幌に大規模なレンガ工場の進出が相次いだ大正末から昭和の初めにかけて、レンガの値段も手ごろなものになり、札幌軟石に代わってレンガ倉庫が普及していきました。ただし、レンガ造りには軟石造りに及ばない点がありました。断熱性です。札幌軟石は火砕流が冷え固まったもので、その表面には細かい穴が無数に開いています。この穴にたまった空気が天然の断熱材の役割を果たします。一方のレンガは断熱性能が低く、厳寒期のしばれに弱い欠点がありました。このレンガの弱点を補うと考案されたある仕掛けが、平岸3-2の中井家りんご倉庫で確認することができます。
レンガの積み方をよく見ると、レンガの広い面(平=ひら)を寝かせて積むのではなく、地面に対して垂直に立てて積まれているのがわかります。さらに、立てたレンガを90度回転させながら交互に積み上げています。
この積み方を模型で示したのがこちらの写真です。レンガの内部に空間ができていることがわかります。この積み方は「小端空間積み」と呼ばれています。野幌のレンガ職人によって発明されたとされていますが、詳しいことは分かっていません。この空間が外部の冷たい空気をシャットアウトし、倉庫内の農作物を凍れから防ぐ役割を果たしたのです。
レンガは明治後の近代化に伴い、工場や橋梁、トンネルなど様々な近代設備の建築材料として日本に急速に普及していきました。その積み方も、技術指導にあたった国の積み方をそのまま踏襲し、イギリス式の積み方は「イギリス積み」、フランス式の積み方は「フランス積み」という呼び名が定着したことでわかるように、レンガの積み方は海外の模倣に終始しました。
しかし、北海道の厳しい気候は既存のレンガの積み方では対応できず、倉庫の持ち主からの要望を受け、北海道独自の技術として考案されたのが「小端空間積み」だったと想像されます。開拓時代に基盤をなし、今へと受け継がれている北海道の西洋農業の普及は、単に海外の技術を導入しただけでなく、それをもとに北海道独自の条件に合わせて、様々な人々が知恵を働かせ、技術革新を続けてきた結果、今の農業王国につながったのです。その象徴として、このりんご倉庫は非常に意義のある建物であると思いますし、「小端空間積み」というアイデアは北海道遺産として後世に伝えるべきものだと思います。
昨日のブログで書いたように、生物のデザインは捕食者との競争に勝ち抜くために究極まで研ぎ澄まされた機能美があると思っていますが、建築物のデザインにおいても、それは単なる見た目のことではなく、歴史的・風土的制約に適応し、進化してきた結果のものであり、勝ち残ったものが適応・放散していくという点においては生物も建築物も共通であるといえます。
何の興味もない者にとって、生物のデザインも建築物のデザインも「見た目」しか捉えることができませんが、豊かな好奇心を持ってそのデザインを眺めると彼らは実に雄弁に歴史を物語ってくれるのです。