阿部仁太郎とふたつの神社

豊平神社の境内に文字の判別も難しい古びた石碑が佇んでいます。この碑は、地域の功労者である阿部仁太郎が藍綬褒章を授与されたのを記念して明治32年に建立されたものです。

 

阿部仁太郎は、豊平神社の前身となる小祠を建て

、故郷・青森の猿賀神社の神(上毛野田道命)を入植先の当地で祭りました。

 

 

仁太郎は、四ヶ村連合用水の開削を主導し、経王寺の境内に豊平小学校の前身である保育所を建て、さらには豊平郵便局を開設するなど、豊平村の発展に大きく寄与しました。

 

明治中期、仁太郎は厚別に土地を求め開墾しました。二代目の仁太郎も厚別の旭町に郵便局を設け、消防事業や電灯事業などでまちづくりに寄与しました。

 

旭町の仁太郎の屋敷跡は現在では民間会社の社屋になっていますが、その屋上には猿賀神社の小祠が祀られ、今でも会社の第1営業日には豊平神社から宮司がお払いに来ています。

 

このことは、何かとお世話になっている札幌建築鑑賞会代表の杉浦正人さんに教えていただきました(札幌時空逍遥 阿部神社参照)。

本日から30日まで新札幌のサンピアザで開催中の「厚別歴史写真パネル展」で、阿部仁太郎に関するパネルが展示されているほか、30日14時からは仁太郎のご子孫を招いて「旭町と阿部仁太郎」というタイトルで談話会が行われます。

 

阿部仁太郎といえば豊平地区の人という先入観がありましたが、厚別の発展も大きな足跡を残しており、その出身地の神様を通して今でも豊平と厚別の両方にゆかりが残っています。