はじめての励ましの言葉

東日本大震災を受けて、ネットではできない地域の人と人を結びつけるような新聞を作ろうと決意したのは2011年のことでした。総合的な地域新聞の創刊は中期的な目標とし、まずは自分の得意分野である歴史に特化した連載「平岸の歴史を訪ねて」を2013年3月にスタートしました。

 

しかし、私は新聞記者でもなく学術論文を書いた経験はあっても、一般向けの文章を書いた経験はありません。こんなマニアックな読み物が受け入れられるのか正直不安でした。新聞販売業界関係者もせいぜい「やるなら好きにすれば」という程度で、人によっては露骨に新聞屋は拡張だけすれば良いとはっきり言われたこともありました。

 

連載を開始してからまもなく、一本の電話がありました。「平岸の荒井ですが、いつも読んでいます。ぜひご挨拶に伺いたい」との趣旨でした。約束の時間に販売所で待っていると黒塗りの運転手つきの高級車が横付けされ、小柄な男性が降りてきました。

男性は、衆議院議員の荒井聡さんでした。この時までうかつにも私は自分の販売所のエリアに国会議員が住んでいることを知りませんでした。私の乏しい想像力では、国会議員というのは立派な邸宅を構えているとばっかり思っていましたが、荒井先生は普通の分譲マンションに住んでいることをこの時初めて知ったのです。

 

正直何を話したのか細かく覚えていませんが、私は聞かれもしないのに災害に備えて地域の絆を深める活動が大切だとか空回り気味に話した記憶があります。ほとんど平岸のご自宅には住まれていなかったと思いますが、新聞の折込まで目を通してわざわざ挨拶に来てくれたことは素直に嬉しかったです。

 

昨日取材した札幌新陽高校の校長・荒井優さんはそのご子息にあたります。そのことを告げると、荒井優さんが校長として就任する前から荒井家では平岸の歴史を訪ねてを「平岸の道新さんが面白いものを書いている」と話題になっていたとお聞きしました。

 

この荒井聡さんの励ましは、不安が大きかっただけにその後連載を続ける自信となり、今でもあの時の感動は忘れることができません。おかげさまでこの連載は地域で大きな評判を呼び、今では5つの販売所が共同で発行する「道新りんご新聞」に結びつきました。

 

全てお客様からの励ましや応援があったればこそです。最近は毎週のようにメールや手紙などで励ましの言葉をいただきますが、たくさん来るようになったから慣れるかというとそうではなく、はじめてのときのように嬉しいものです。

 

地域の人に読んでもらっているという喜びが今の私にとって何よりの支えとなっています。販売所スタッフへのお声がけや、メール、手紙、励ましのお電話などはすべて私に届いております。道新りんご新聞は書き手の私一人で成り立っているわけではありません。皆様からの支持があるからこそ続けられたと思っています。厳しい意見でも構いませんので、今後も皆様からのメッセージをお待ちしております。