「赤い鳥」と綴方教育連盟事件 作文教育が罪にされた時代

「赤い鳥」は大正7年に創刊された童話と童謡の児童雑誌です。芥川龍之介「蜘蛛の糸」や太宰治「走れメロス」などの名作がこの雑誌から誕生し、教訓色に塗り潰されていた従来の児童読み物が、芸術的にも高められていくきっかけを作り出しました。

 

この「赤い鳥」を教材として授業で使ったら逮捕され、先生を辞めさせられたという信じられない事件がありました。それもここ平岸で・・・

「平岸小学校開校80周年記念 郷土誌ひらぎし」に平岸出身の小説家・澤田誠一先生(故人)が回想を寄せています。その中で平岸小学生当時(昭和16年)の思い出として、

 

『澄川方面の生徒に多かったが、雪をふみこえて約二時間命知らずにやってくるのである。全身雪まみれになって通学する子供の健気さに今さら驚嘆するわけだが、その生徒の一人の作文が鈴木三重吉編集の雑誌「赤い鳥」に出たのではなかったか、と思う。春になり、姉や兄が鰊場へモッコショイの出稼ぎにゆく話を書いたのだというふうに記憶しているが、この作文が、のちに問題になった。私の六年生卒業のときの担任の先生だが、生徒にアカイ教育をしたというのである。太平洋戦争突入の年の一斉検挙の「綴方連盟事件」である。なんでもないことなのだが、あの時代は、すぐこういう話につながる時代だった』

 

澤田さんの著書「平岸村」では、この先生は本保先生といい、警察に捕まって先生を辞めさせられたと書いてあります。

戦時中、北海道で50人を超える教員が治安維持法違反容疑で特別高等警察(特高)に連行された「北海道綴方教育連盟事件」。北海道の教育史に暗い影を落とすこの事件は、既に日中戦争が勃発し、戦時体制が世の中を覆っていた昭和15年から翌16年にかけて起きました。

 

子供達に自分の暮らしや日々の思いをありのままに作文に書かせる「綴方(作文)教育」に励んでいた青年教師たちが、「貧困などの課題を与えて児童に資本主義社会の矛盾を自覚させ、階級意識を醸成した」などとして次々と逮捕され、11人に有罪判決が言い渡され確定しました。三浦綾子さんの小説「銃口」の題材となったことでも知られています。

2014年にはこの事件を扱った「獄中メモは問う」が北海道新聞夕刊で連載されました。

 

正直に言いまして、私はこの連載にあまり興味がありませんでした。釧路などの田舎で起きたことであり、「大変な事件があったんだな」という他人事として捉えていたからです。

 

しかし、前述の澤田先生の回想を読んだとき、これほど身近に被害者がいたことに驚き、はじめて自分ごととして考えるようになりました。

 

治安維持法が成立したとき、帝国議会は「決して思想にまで立ち入って思想を圧迫するとか、研究に干渉をするとかいうことではない」と説明していました。

 

しかし、実際には作文教育を理由に逮捕された歴史が、ごく身近なところで起きていたのです。

 

残念ながらこの事件を知っている人はもういません。平岸小学校の先生にも尋ねたことがありますが、誰もこの事件を知りませんでした。

 

私が連載している平岸の歴史を訪ねてでいずれこの事件を取り上げるつもりでしいましたが、昨今の情勢から「共謀罪」について考える判断材料の一つにしてもらえればと思い、このコラムを書きました。

 

『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』(オットー・フォン・ビスマルク)。