サッポロ珈琲館平岸店。もとは下本村共同選果場として昭和13年に建てられました。この建物の建設経緯は、弘前大学農学部の名誉教授・齋藤健一先生が「株式会社平岸会館50周年記念誌」にまとめられています。
当時、平岸は国内有数のりんごの産地でした。昭和11年にはシンガポールへの試験輸出が行われ、その結果は「平岸林檎に歓呼の声あがる」(北海タイムス)ほどの大評判となりました。
現地の係員から「道産りんごは当地ではすこぶる好評で、さらに100箱の追加試験取引の申し込みがあった」との電報が寄せられ、関係者は小躍りして喜び、直ちに追加で発送される手配が取られました。
しかし、翌昭和12年7月7日に起きた盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発。シンガポールの宗主国イギリスとの関係も急速に悪化し、平岸りんごの海外輸出の道は閉ざされてしまいました。
軍部の楽観的な予測に反し、日中戦争は泥沼化していきます。若手の労働世代が兵役にとられるようなり、「札幌郊外平岸村は・・・事変勃発と共に応召者多く人力不足をきたしている」(昭和13年10月10日北海タイムス)など労働力不足が深刻化していました。
そんな中、共同選果場を建て作業の効率化を図ろうという機運が盛り上がっていました。しかし昭和恐慌の余波が残り、りんごの作柄不況も続き、経済的に疲弊した組合員が建築資金を捻出することは容易ではありませんでした。(続く)