とうきびワゴンのルーツは平岸にあり

観光で訪れた大通公園で北海道の味覚を楽しむ子供たち(4月26日北海道新聞夕刊9面より)
観光で訪れた大通公園で北海道の味覚を楽しむ子供たち(4月26日北海道新聞夕刊9面より)

26日から大通公園で「とうきびワゴン」の今季の営業が始めまりました(とうきび熱々がぶり 札幌・大通公園 ワゴン始まる)。

 

とうきびワゴンといえば札幌の風物詩であり、石川啄木が、「しんとして 幅広き街の 秋の夜の 玉蜀黍(トウモロコシ)の 焼くるにほひよ」という短歌を詠んでいます。

 

大通公園のとうきび、もとをたどれば平岸にルーツがあることはあまり知られていません。

平岸村東裏の重延久太郎・テイ夫婦(北大北方資料室蔵)
平岸村東裏の重延久太郎・テイ夫婦(北大北方資料室蔵)

仕掛け人は、平岸村東裏の農家・重延テイさん。明治18年、生活資金を得るため、自ら作ったとうきびを焼き、背負って大通で売ったのが始まりといわれています。

 

うちわであおぐ炭火の上で、朝もぎのとうきびが焼けると、何とも言えない甘い香りがあたりにただよいました。この香りにつられて、大勢の人が集まります。客だけでなく、とうきび売りも、一人がまね、二人がまね、とうきびの卸を頼む者が現れるほど繁盛しました(さなぶり 東裏百年ものがたりより)。

 

第2次大戦中は消滅しましたが、戦後間もなく復活。1960年代後半に入ると、100台近い屋台が乱立するまでになりました。

 

1966年に札幌オリンピックの開催が決まると、札幌市は屋台の強制撤去に乗り出しました。増えすぎた結果、通行の邪魔になり、衛生的にも問題があるというのが理由でした。ただ、風物詩を残そうと、1967年から札幌観光協会が直営販売するようになります。現在は札幌観光協会から業務委託を受けている北海道キヨスクが販売しています。

 

平岸といえばりんごのイメージが強いかもしれませんが、実は大通公園のとうきびワゴンもその原点は平岸にあったのです。

 

5月21日(日)に豊平区民センターで行う「歴史と防災とまちづくり」講演会では、りんご倉庫、定山渓鉄道、アイヌ語地名、縄文遺跡などの身近な歴史スポットを映像でたどり、地域の魅力をたっぷりご紹介いたします。詳しくは、こちらのページをご覧ください。