100年前の今日、当時のロシアの首都ペテルブルクで、「パンをよこせ」と求める女性のデモが大規模なゼネストに発展。その後の帝政崩壊と旧ソ連成立につながるロシア革命が始まりました。
史上初の共産主義政権の誕生に結びつく、歴史上重要なターニングポイントですが、ソ連崩壊によりその意義は薄まっているようです。
さて、遠い異国の地の出来事のようにも思えるロシア革命ですが、100年前の平岸に大きな影響を与えています。
当時、ロシア極東の街ウラジオストクは自由貿易都市として繁栄し、多くの日本人商人で賑わっていました。
日本からの主な輸出品はりんごや玉ねぎ。冬が長いロシアにあって、貯蔵の効く果実・野菜類は重宝され、高値で売れました。
平岸のりんごは、身持ちがよく、「翌年の札幌祭(6月)までもつ」と評判で、輸出に最適でした。
結果、平岸のりんご農家はウラジオストクへの輸出に注力し、菱形にローマ字を入れた果樹園屋号を用いたり、門柱にローマ字を附す果樹園が現れるなど、りんご農家も国際化へ取り組みます。
ロシア革命が起きると、ウラジオストクは反革命側(白軍)の根拠地となり、ロシアは内戦状態に陥ります。
日本は極東地方への権益の拡大を狙い、ウラジオストクを起点にシベリアに出兵。ウラジオストクは反革命軍と日本軍の根拠地となり、彼らを相手に軍事物資や生活物資を売って巨利を得る日本人商人が活躍しました。
平岸在住の作家・澤田誠一(故人)さんは、シベリア出兵とそこで活躍した商人らをモデルに小説『商館』を発表しています。この小説は、澤田さんが子供のころ父親たちが茶の間で語っていたウラジオ見聞録を思い出して構想されました。
平岸りんごも反革命軍相手に輸出を再開。その支払いは反革命軍の発行する短期国債、通称「シベリア紙幣」によってなされました。しかし、大正11年日本がシベリアから撤兵するとウラジオストクを含めた極東地方全域がソヴィエト政府の管轄下に置かれ、シベリア紙幣は紙くずになってしまいました。
役目を失ったシベリア紙幣はりんご農家のふすまの穴ふさぎにぺたぺたと貼られていたそうです。
道新りんご新聞で好評連載中の平岸の歴史を訪ねて。現在、サッポロビール編を連載していますが、それが終わったら平岸の歴史前半のハイライトとなるりんご編がスタートします。
既に執筆にかかっていますが、これまでで最も面白いシリーズをお届け出来そうです。ご期待下さい!
※なぜ平岸はりんごの産地となったのか?キーワードは”平岸の地質と気質”
※道新りんご新聞は毎月1日・15日に、平岸全域の北海道新聞朝刊に折り込まれます。新聞の1週間無料お試しキャンペーン実施中!