平岸の魅力を“密度の濃さ”と“幅の広さ”で考える

10日に行われたまち歩きツアー「うわさんぽ~平岸の歴史を訪ねて編~」では、1時間半の間に15ヶ所の歴史スポットを回りました。

 

6分で1ヶ所回った計算になります。平岸は、移動距離の割に多くのスポットを見学できる歴史密度の濃い地域といえるでしょう。

 

実際、時間の都合で泣く泣くカットしたスポットもいっぱいありました。

 

しかし、密度だけなら、すすきのや鴨々川周辺なども多くの歴史スポットが密集する地域であり、平岸が特別優れているとは言えないかもしれません。

 

もう一つ、平岸地区、特に天神山周辺が優れているのは、歴史の幅の広さです。まち歩きで回った歴史スポットを古い時代から並べると、

・海底堆積物(500万年前)

・支笏火砕流(4万年前)

・氷河期の扇状地(1万年前)

・現在の扇状地

・豊平川旧河道、精進川旧河道

・縄文遺跡(縄文時代)

・アイヌ遺跡(アイヌ文化時代)

・道内最古の藤(江戸時代)

・平岸用水跡(明治)

・大正期の木造農家(大正)

・龍神神社(昭和)

・りんご倉庫(昭和)

・りんご園

 

このように、天神山周辺は古い時代から連続的に歴史を体感できるスポットであることがわかります。

 

地質学的に見ても、海底堆積物(西野層)・支笏火砕流・河岸段丘が一つの場所で見学できる貴重な場所ですし、人文的にも縄文・アイヌ・江戸・明治・大正・昭和と連続して歴史スポットが残されている点で、他に類をみない土地柄といえます。

 

面白いのが、それぞれが無関係でなく、相互に作用していることを観察できる、縦軸で歴史を俯瞰できる土地だということです。

 

具体的には、氷河期の扇状地という痩せた土地だったことが、開拓者に従来の作物(麻)の栽培をあきらめさせ、りんごという全く新しい果物の栽培につながっていますし、段丘上の土地であったために上流から用水路を引く必要が生じました。

 

さらに、天神山は縄文時代~アイヌ文化時代~開拓以降と一貫してパワースポットだった神聖な山だったこともわかっています。

 

ブラタモリもそうですが、歴史の面白さは、一見関係ないように思えるものが、実はつながっているのを発見することです。

 

私も今回のまち歩きをするまで、特に意識はしていませんでしたが、あらためて振り返って天神山周辺は、歴史の面白さを学ぶ絶好のスポットであることを発見しました。