環状通にあるリンゴ並木で8月29日、美園小の4年生79人が「文字入りリンゴ」を作るために、リンゴにシールを貼り付ける作業を行いました(9月6日さっぽろ10区2面)。
さて、このリンゴ並木、長野県飯田市のリンゴ並木をモデルとして作られたことをご存知でしょうか?
美園の環状通脇にあるりんご並木の碑には、『札幌の街に赤いリンゴの実る並木通りをと 豊かな市民の心を信じ 長野県飯田市の東中学校生徒が植え育てたリンゴ並木を参考にして 昭和四十九年十一月板垣市長がこの地にリンゴの若木八十本を植えた・・・』とその由来が書いてあります。
ところが、飯田のリンゴ並木は、実は札幌の街路樹が由来となって作られたものなのです。
美園地区町内会連合会のホームページに飯田市のリンゴ並木の由来が書いてあります。以下引用。
『飯田市は、昭和22年に市街地の3/4を焼失する大火に見舞われ、この災害の復興にあたって、区画整理事業が行われ、防火帯として市街地を東西南北に貫く幅員25mの道路が整備されました。
飯田東中学校の松島八郎校長は、昭和27年、出張で札幌市を訪れた際に、道路が広く立派なこと、うっそうと茂る街路樹の美しく涼しげな様子に感嘆し、帰校後、生徒に、札幌市のことや、ヨーロッパにあるという、りんご並木のことなどを話しました。
この話に感動した生徒の皆さんは、中央分離帯に自分達の手でりんご並木を作ろうと決意し、飯田市へ要望を行い、昭和28年に、りんご並木の植樹を行って以降、現在に至るまで並木の育成に携わっています。』
つまり、飯田市のリンゴ並木のルーツは札幌の街路樹であり、札幌の街路樹→飯田市のリンゴ並木→環状通のリンゴ並木という流れで、両市はリンゴを通じて交流を深めていきます。
環状通にリンゴ並木が誕生してから4年後の昭和55年、飯田市を訪れた美園リンゴ会会長の加藤幸作さんは、飯田市のリンゴ並木の碑文を見て、大きな感動を受けます。
『札幌の街に涼しく繁る街路樹の感動を松島八郎校長が全生徒に語ったのは、飯田市が不慮の大火で市街地の大半を消失し、廃墟から再興の途上にあった昭和二十七年の夏である。・・・』と札幌由来であることが刻まれていたからです。
加藤さんは、札幌のりんご並木にも記念碑を作り、飯田市の文字を入れようと決心しました。昭和60年、この熱意が実り、『飯田市の東中学校生徒が植えたりんご並木を参考にして・・・』とはっきり刻まれた立派な記念碑が完成したのです。
除幕式には飯田東中学校の校長先生や生徒さんなどを招待しました。加藤さんは「りんご並木は札幌市、飯田市に共通する貴重な宝物である。これを機に互いの交流を深め合い、成長の糧としていきたい」とあいさつし、参列の地元市民から大きな拍手が起こりました。
環状通にたたずむリンゴ並木は今でも、地域住民や児童らの手で大切に守られています。
※参考:飯田市公式ホームページ、美園地区町内会連合会ホームページ
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