平岸は明治4年から8年までの5年間“麻畑村”の名で呼ばれていました。
麻畑村の由来についてはこちらのページ(なぜ電柱に昔の地名が残されるのか?“麻畑村”の痕跡を探る)をご覧ください。
麻畑村の痕跡が南平岸駅前の電柱に残っていることは、以前書いた通りですが、電柱以外にも、麻畑の痕跡は様々な場所に残っています。
平岸小学校の校歌の2番の歌詞。冒頭に、「麻畑と よばれたむかし・・・」とあります。
平岸中学校の校章です。中央の円から三方にのびている模様は、麻畑の麻の葉の形と、「平」の字を表しています。
平岸1条3丁目にある三等三角点「麻畑」です。
真ん中の黄色い星のあたりにあります。右下から左上に続く緑の回廊は精進川で、左上の建物は寒地土木研究所になります。
精進川の右岸(平岸)と左岸(中の島)の間に数メートルの崖が続いていますが、その崖の北端にあたります。
ちなみに、ピラ・ケシはアイヌ語で崖のはじっこという意味ですが、はじっこはこのあたりのことを指しているとも言われています。
三等三角点は約4キロメートルおきに設置されており、平岸には天神山の三吉神社の隣に「三等三角点平岸」があります。
いずれも周囲に比べ地形が高く、測量しやすい場所になっています。
平岸地区に二つの三等三角点を置くことになり、旧地名の「麻畑」を用いて区別していると思われます。
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明治4年から数年間だけ使われた“麻畑”の呼称ですが、それから145年を経た今日でも痕跡が残されています。