コンビニエンスストア「スパー」が、8月末までに大半の店舗を「ハマナスクラブ」という店名に衣替えします。
スパーは国内で唯一、北海道だけに残っていましたが、オランダにある本部との契約更新を見送ったことにより、日本に約40年にわたり根付いていた店名が姿を消すことになりました。
新店名には「北海道の花」で知られ、親しみやすいハマナスを使用。「スパー平岸5条店」も、9月1日からハマナスクラブになります。
さて、日本ではどちらかというと田舎にあるコンビニのイメージが強いスパーですが、世界中に展開されていることをご存知でしょうか?私は、学生時代ヨーロッパのとんでもないところでこの事実を知りました。
今から十数年前、ミュンヘンで行われた国際学会で研究発表を終えた私は、アルプスと氷河を観光するために、オーストリアのチロル地方に渡りました。
そこには、氷河が削りだしたU字谷、荒々しいアルプスの山々、牧歌的な風景といった「アルプスの少女ハイジ」そのままの風景が広がっていました。
その牧歌的な風景の中で、信じがたいマークを目撃したのです。
緑の丸印にモミの木マーク、そうスパーです。スパーは、セイコーマートとかポプラ、サークルKのような日本の地域的な存在だと思っていた私には、大きな驚きでした。
生き物にたとえて言うならば、北海道にしか生息しないエゾナキウサギだと思っていたら、どこでもいる猫だったというようなものでしょうか・・・
スパー誕生の経緯は、1929年に起きた世界恐慌に由来します。アメリカに端を発した世界恐慌はまたたく間に世界中に波及、オランダのアムステルダム郊外で食品卸業を経営していたファンベル社も、耐え切れずに倒産しました。当時33歳のファンベル氏は、再建策を探りに渡米、そこで注目したのが、商品の共同仕入れを行うボランタリーチェーンでした。
帰国後、ファンベル氏は従来の取引先であった小売店を口説いて協業の組織をつくりあげます。 米国流の合理主義と欧州流の共同互助主義を融和させたボランタリーチェーンの理念を確立し、この組織はオランダで大成功します。
1947年、諸外国からの希望により、スパーの名称と商標を用いて、組織をつくることのできる国際協定がつくられました。これが国際スパーの始まりです。国際スパーは現在ヨーロッパを中心に、約12,000店のお店を世界40ヵ国以上で展開しています。
北海道スパーは国際スパーの地区本部に当たり、セイコーマート(現セコマ)や店舗オーナーが出資し1977年発足。90年代の最盛期には、国内約2千店、道内約120店ありましたが、他社との競争激化で店舗を減らし、道外店は2008年になくなっています。
セコマもスパーの知名度を使い欧州の小売業の情報を得たり、ワインの調達先を探したりと自社の成長に役立てていました。ただ、加盟から40年近くたち、経営者の高齢化で店舗数の減少傾向が続いていることから、セコマは「一定の役割を終えた」と判断したようです。
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