ブラリンゴ アンパン道路編、今回は平和公園にある月寒忠霊塔とその老朽化問題にスポットをあてました。
望月寒川を渡り、坂道を登ると三叉路に差し掛かります。左側がアンパン道路ですが、まっすぐほどなく進むと、左手に平和公園があります。
「平和公園」、「平和通」、「平和町」・・・
戦後、雨後の筍のごとく、“平和”という地名がつけられました。
特に、軍隊の施設があった場所の近くにつけられる傾向があります。
かつて零戦の基地があった千歳市の航空自衛隊基地は「平和」地区にありますし、第七師団の軍都であった旭川には、「平和通買物公園」があります。
この公園の一角に忠魂納骨塔があります。
一般には月寒忠霊塔の名で知られています。
塔の裏側には、由来が刻まれています。
「惟フニ我ガ聯隊ハ創設以來既ニ三十有四年ノ星霜ヲ經タリ 其ノ間精忠雄節ノ将兵ニシテ身ヲ以テ国難ニ赴キ 戦傷病没セシモノ其ノ芳骨今ヤ實ニ一千餘體ノ多キニ上ル・・・」
この文にある通り、月寒歩兵第25連隊が属していた第七師団は、日本最強の師団として最激戦地に投入され、多大な犠牲を払ってきました。
主なものだけでも、二○三高地、ノモンハン、ガダルカナル、アッツ・キスカとその地名を聞くだけで、兵隊の犠牲が思い浮かびます。
この塔が建立されたのは昭和九年、急速に軍国主義化していった時代でした。そのような時代背景を反映し、「皆生キテハ国家ノ干城死シテハ護国ノ神霊」、「国民銃後ノ赤誠溢レテ茲ニ其ノ実現ヲ見ル」、「忠勇ナル我ガ先輩将兵ノ義烈ハ是レ即軍人精神ノ亀鑑」といった当時の軍人思想がかいま見える言葉が散見します。
裏側に回ると、黒い扉があります。
この中に、日露戦争から太平洋戦争までの戦没者の遺骨など約4千柱が収納されています。
正確には、2115人分の遺骨箱と1743人分の名簿になります。名簿の分は、遺骨が回収できていないからでしょうか。ガダルカナルやアッツ島では今も遺骨回収が続けられています。
毎年慰霊祭が遺族、戦友、自衛隊、地域の有志などの手により行われています。
上の写真を見て分かる通り、現在忠霊塔は近づけないよう柵で囲われています。
老朽化が進み、崩落の危険性があるためです。
このため管理する月寒忠霊塔奉賛会が対応に苦慮する事態に陥っています。
2015年2月20日の北海道新聞朝刊27面の記事によれば、
『月寒忠霊塔奉賛会によると、忠霊塔は戦後、大蔵省(現財務省)が引き継ぎ、旧豊平町(現札幌市豊平区)に無償貸与。さらに58年、旧豊平町が同奉賛会に無償貸与し、所有権は今も国にあるとしている。
一方、財務省は「国有財産の台帳に月寒忠霊塔は記載されていない」(国有財産業務課)とし、札幌市は「忠霊塔は奉賛会の所有物」(保健福祉局)との立場だ。』
つまり、所有権が誰で管理責任がどこにあるかはっきりしていないのです。
この記事によれば、忠霊塔の大規模補修のほか、忠霊塔を撤去した上で、遺骨はその場に埋葬し、新たな慰霊碑を建てることも検討されているそうです。
この問題、かなりデリケートで、戦前国威発揚のため軍や行政が主体となり、忠魂碑・忠霊碑がそこら中に作られたという問題があります(すべてがそういった由来ではありませんが)。
そのため、戦後こういった施設に行政側が関わるのがタブー視されてきました。
結果管理に及び腰となり、関わり合いになるのを避けてきたといったところでしょうか。
軍国主義の象徴という面をとるか、戦没者の慰霊という面をとるか、この忠霊塔老朽化問題には戦後の日本が抱えている太平洋戦争の総括の一面が現れている気がします。
続きはこちらから→ブラリンゴ アンパン道路編#8.薬殺処分された軍馬たち