羊ケ丘通を越えて、アンパン道路は望月寒川に向けて緩やかに坂を下っていきます。
アンパン道路が望月寒川を渡る場所は、下の写真のように、ちょうど開けた平地になっています。
なお、ここから下流の月寒公園に向かい、望月寒川は川幅がせまく、曲がりくねっています。
2014年9月11日の札幌豪雨の際、このあたりではん濫が起きました。せまく曲がりくねった流路が災いして、豪雨により急増した水が、ボトルネックとなり溢れたと考えられます。
札幌豪雨と望月寒川のはん濫については、道新りんご新聞創刊号の「平岸防災~明日に備えて」で特集記事を組んでいます。よろしければ、ご覧ください。
なお、アンパン道路建設の際、今の月寒公園の北側を回るルートも候補にあがりました。
高台を経由するよりも地形が平坦で、工事が簡単であることが理由でしたが、このルートは歩行者の安全面で重大な支障があったのです。
戦前まで、月寒公園の一帯は、当時月寒に駐屯していた歩兵第25連隊の射撃場として使われていました。
流れ弾にあたるかもしれないルートは当然却下され、現在のルートが選択されたのでした。
実際、月寒公園として整備されるまでは、このあたりでよく薬莢が落ちており、拾うことができたと土地の古老の方に見せていただいたことがあります。
余談ながら、資源の乏しい旧日本軍にとって金属製の薬莢は貴重であり、射撃練習後の兵士たちに厳密な回収が求められ、薬莢を紛失した兵士には過酷な制裁を受ける伝統がありました。
ちなみに、現在でも自衛隊の演習後、すべての薬莢は回収されていますが、これは資源回収というよりも、実弾を紛失して、事件・事故などが起こらないための措置です。
なお、豊富な資源と生産能力を誇るアメリカ軍は空薬莢の回収を行いません。
自衛隊とアメリカ軍との共同訓練で、自衛官が薬莢を拾っているのを見てアメリカ軍は「お前ら何をしているのだ」と不思議がっていたそうです。
旧射撃場に落ちていたという薬莢、血なまこになって探した挙句、鉄拳制裁を受けていた兵士たちのことを思えば、複雑な感情がわきます。
続きはこちらから→ブラリンゴ アンパン道路編#6.平岸村独立運動