いよいよ本日プロ野球が開幕します。
我らがファイターズの開幕投手は大谷翔平選手。
彼の出身地は岩手県水沢市(現・奥州市)になります。
翔平の名前の由来は、奥州・平泉にゆかりのある源義経にちなんで、義経の船の上を飛びながら戦うイメージ(八艘飛び)から「翔」の字を用い、平泉から「平」を取って名付けられたといわれています。
水沢は平岸とは因縁浅からぬ土地です。
平岸の開拓の歴史は、明治4年の水沢藩士ら202人の移住に始まります。
水沢は“偉人の街”として有名です。
江戸時代を代表する蘭学者の高野長英、海軍次官から総理大臣まで登りつめた斉藤実、関東大震災の復興を指揮した東京市長後藤新平と、あのちっぽけな街から、日本史の教科書には必ず載っている人物が3人も輩出されています。
これらの人物に共通するのはスマートさです。
水沢は「みちのくの小京都」と呼ばれるように文化レベルの高い街であり、こういう土壌から、戦前の日本を代表する政治家が輩出されたことは偶然ではないでしょう。
もう一つ、水沢人気質として私が個人的に感じているのは、新しい物に対する好奇心が強く、チャレンジ精神に富むことです。
平岸がそうであるように、北海道には東北の没落士族が開拓した土地はたくさんあります。
平岸が特異なのは、水沢藩主が移住に反対したにもかかわらず、藩主をおいて藩士たちだけで移住を決断した点にあります。
この時代の武士にとって、藩主の存在は絶対的なものであり、忠義を第一に教育されてきました。
「君辱めらるれば臣死す」という言葉がある通り、当時の人間にとって、忠義というのは、今で言う民主主義のように、あたりまえの価値観でした。
その彼らが、忠義という価値観を飛び越えて北寒の未開地に飛び込んだことは高く評価されるべきでしょう。
彼らは、食べるのに困った困窮者としてではなく、未開の地を切り開く挑戦者として平岸にやってきたのです。
大谷選手が高校卒業後、メジャー入りを表明した際、次の言葉を発しました。
「誰もやったことがないようなことをやりたい。野茂英雄さんもそうですし、成功すれば高校からメジャーへという道も拓けると思う。160km/hの目標を掲げた時には無理じゃないかと言う声もあったが、そう言われると、絶対やってやるという気持ちになる。刺激というか、やる気になる」
大谷選手のチャレンジ精神を見ると、在りし日に海を渡って平岸にやってきた水沢藩士たちが思い浮かぶようです。
様々な経緯の末、大谷選手は彼の郷土の先輩が切り開いた平岸にごく近い場所で、投手と打者の二刀流という前人未到の挑戦を続けています。
郷土のチャレンジ精神は一世紀半の刻を越え、一人の野球選手に引き継がれているのかもしれません。
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